【ネタバレ・考察】今更ながら非常にはっきりとわからない展の感想をまとめてみた話
展示を見て、泣き出す人がいたとか、怒り出す人がいたとか…
興味深い感想がSNSに溢れて、注目を集めた、千葉市美術館の〈非常にはっきりとわからない〉展。
仕掛けが分かってしまうから、投稿を控えていたけど、会期が終了したので、以下、個人的な感想です。
・
・
・
″どっちで降りよう?″
〈非常にはっきりとわからない〉展の会場は、7階、8階と、二つの階に跨っているのに、順路がなかった。
だから、この謎だらけの展示で、まず、皆の頭に共通して浮かんだのは、そんな疑問だったかもしれない。
ここで突然だけど、
人生は些細な選択の連続で成り立っていると、
感じたことはないだろうか。
もしあのとき、違う道を選んでいたら…
そんな風に、きっと誰しも一度は、
想像してみたことがあるはずだ。
しかし、それはあくまで想像に過ぎず、
実際のところ、選択しなかった行動の先に
行くことはできない。
だから、今回の展示でもどちらで降りるか、
個人的には、それなりに迷ったのだけど…
でも、この展示に限っては、そんな選択の迷いは、
全く問題にはならなかったようだ。
なぜならどちらへ行っても、
あるのはまったく同じ空間だったのだから。
・
・
・
一体どういうことかと思われるかもしれないけど、
これは本当に言葉通りの意味で、
面白いことに、二つの階はあるものが全く同じだった。
会場は写真のように、およそ何かの展示が行われているとは思えない、雑然とした空間なのだけど、
それぞれの階は、梱包された作品や、無造作に置かれたダンボール、ごみ、メモ…
果ては割れたガラスの、そのヒビの入り方まで、全て同じように作られている。
・
ただ、見た目は全く同じでも、双方、起きることが微妙に違う。
どこからともなく現れた作業員が、ある展示室の壁を動かしたと思えば、もう一方の空間では同じ頃、また別の部屋で、いくつも箱が動かされている。
そんな風に、二つの世界は、一時的に異なる形になりつつも、また寸分狂わず同じ姿に戻ることを繰り返す。
・
・
面白かったのは、たった一階分を移動するのに、
階段が使えなかったことだ。
そういう展示なので、何が同じで、何が違うのか、何度も二つの空間を行き来して、確かめたいと思ったけど、
この展示では何故か階段が使用禁止になっていて、必ずエレベーターを使わなくてはいけなかった。
・
階段なら、自分がどう動いたかは、
自分で明らかに分かる。
でもエレベーターだと、明確な動作が伴わない分、
その感覚は曖昧になる。
そして、行き着くのは、同じようでいて、
起きることが違う世界だ。
・
それは、エレベーター内の選択次第でシナリオが変わる、パラレルワールドにいるかのようで、エレベーターという箱型の装置を使って、枝分かれした世界線を自由に行き来するような、不思議な体験だった。
・
・
さて、そんなことを何度も繰り返していると、自分が今、7階にいるのか、8階にいるのか…
つまり、上にいるのか、下にいるのかという認識は、次第に曖昧になっていく。
そしてもっと言うと、もはやそんなことには、何の意味もないように思えてくる。
・
今回の展示は、かつて地球で、N極とS極が反転していたことを示す〈チバニアン〉という磁場逆転地層から発想を得たそうだが、
確かに、この上下の概念が崩壊していく感覚は、その現象を想像させるものがあった。
・
・
・
最近の美術展は、SNSで拡散されることで、人気が出ていく傾向がある。
特に近年でいうと、レアンドロ・エルリッヒ展、塩田千春展は、ビジュアルの訴求力が高く、SNSを通して、多くの人が来場した。
対して今回の展示は、そもそも会場内の撮影が禁止だったし、唯一撮影できた一階の受付部分も、工事現場めいた、いわゆる、「映えない」空間だった。
では、何故、この展示がSNSで集客を上げたのかといえば、それは他でもない、この展示の「わからない」というテーマゆえだったのだと思う。
・
現代アートを扱っていると、「これは何を意味してるんですか?」と聞かれることが度々ある。
世の中では、あらゆることに意味が求められ、わからないことは、まるで悪いことのように言われがちだ。
でも、この展示は、普段、批判されがちな「わからない」ことの本質的な面白さを、沢山の人の反応を通して可視化していくようだった。
現代アートはわからない。
でも、面白い。
この展示を見た今なら、素直にそう言える気がする。
三国志展
扇からビームを放つ諸葛孔明。
それが私と三国志の出会いだった。
小学生の頃、お兄ちゃんがプレステの三國無双をやっていて、このゲームで孔明は、扇を使って戦うんだよね。
そんな風にゲームから入って、小説を読んで、ライトな三国志ファンになった訳だけど、今回の展示はそんな私でも充分楽しめるものだった。
思えば、三国志への入口は、史実から漫画、ゲームまで幅広いと思うんだけど、今回は当時の遺物に混じって、そこから派生した創作物まで、まとめて楽しく、展示してあるのが良かった。
こういう風にみると、私にとってビームを放つぐらい異次元の存在だった孔明が、1800年前に実在していた人だと、確かに肉付けされていくようだ。
メスキータ展
東京ステーションギャラリーのメスキータ展に行ってきた。
最近よく、『ほろびぬ美』という川端康成の短編を思い出す。
民族が興亡しても、その美は滅びないと説くこの文章は、敗戦後も途絶えることのなかった日本の美の系譜について語ったものだ。
けれど個人的には、今回のメスキータのことも、この文章から思い出されるような気がしてならなかった。
ポルトガル系ユダヤ人だったメスキータは、その出自からホロコーストの対象となり、1944年にアウシュビッツで亡くなっている。
アウシュビッツには、入所前に没収された、夥しい数のめがねが展示されているのだけど、それは最近、ボルタンスキー展で見た《ぼた山》という作品にそっくりだった。
ボルタンスキーは幼少期にホロコーストを経験し、その記憶を元に制作を行なっている。だから、脱ぎ捨てられた大量の服が山を成すその作品の根底には、そうした収容所のイメージがあるのかもしれない。
今回の広告塔である眼鏡の男性は、私にとって、アウシュビッツにある《ぼた山》を連想させた。
そして、この《ぼた山》が、存在を消された、無数の人々の象徴なら、私は今回のメスキータ展をみることでようやく、その中に埋もれていた一個人と巡り会えたような気がする。
メスキータは明確なコントラストがあるものから白黒の木版画を作ることに反対していた。
それは同時に、彼が世界を驚くほどシャープに捉える、素晴らしい感性の持ち主であったと伝えている。
そんな人が最期に行き着いたのが、色彩など凡そ死んでいたであろうアウシュビッツだったのは、とても悲しい。
彼はアウシュビッツで亡くなったけれど、作品はエッシャーのような教え子に守られ、その美はいまも脈々と受け継がれている。
その様子は、『ほろびぬ美』の中にある、「美は次々とうつりかわりながら、前の美が死なない。」という言葉を思い起こさせるようだ。
最近また少しずつ、自分の意に沿わない存在を認めない風潮が高まっているけれど、メスキータの作品を見ていると、果たしてそんなことに意味はあるのかと、改めて考えさせられるような気がした。
みんなのミュシャ展
Bunkamuraザ・ミュージアムのみんなのミュシャ展に行ってきた。
美術館にいるとき、何を考えているだろう。
例えば、普段は忘れてしまっているようなこと。
美術館にいると、いつもは記憶の底に沈んでいる想い出が次々と蘇る。
今回、ただのミュシャ展ではなく、〈みんなの〉ミュシャ展なのは、ミュシャの作品と一緒に、ミュシャから影響を受けた人(イラストレーターや漫画家)の作品も展示しているから。
あまりないことだけど、作品とともに、その人のミュシャに対する想いも知ることができて、自分の中にあるミュシャへの懐かしい気持ちもまた、鮮やかに蘇るようだった。
それぞれの人にとってのミュシャの存在を浮き上がらせる「みんなのミュシャ」展は、「わたしのミュシャ」についても思いを巡らせる時間になるかもしれない。
顔真卿展
夜間開館、閉館一時間前になっても、顔真卿《祭姪文稿》だけは60分待ち。
沢山の書があって、驚くほど端正で美しいものばかりなのに、
その中でも選りすぐりの名筆と言われるのは、
この、悲しみで歪んで掠れて書き直した《祭姪文稿》なのだ。
こういう様子をまざまざと目の前にすると、美術史というのはそのまま、人の心が何に惹かれてきたのかを辿っていくことなのかも知れない、と思う。
顔真卿は書だけど、絵画や彫刻も同じで、
例えば紀元前の彫刻を見ることで、遠い昔の人がそれを観て美しいと感じた、その心の動きに触れることができるように、
作品から透けて見えてくる人の心に惹かれて、私は美術館に行っているのかもしれない。
それは活字で綴られた詳細な記述よりも鮮やかに、色々なことを教えてくれるような気がする。
あと個人的に見れて良かったのは、則天武后の書。というのも、最近彼女について書いた本を読んだので…
中国人の作家が、フランス語で書いた則天武后の物語の日本語訳…というちょっと複雑な背景の本なんだけど、
詩を書く人だそうで、とにかく文体が詩的で美しい。(ちなみに、バルテュスの秘書をしていたこともあるそう)
ファンビンビン演じる妖艶な美女とはまた違ったイメージで、中国史上唯一の女帝の数奇な生涯が描かれていた。
それがあまりにも劇的な生き様だったので、半ば物語の中の人という気がしていたのだけど、
今回彼女の書を見て、本当に実在していたんだよなぁと不思議な気持ちになった。
男性ばかりの中で、やはりどこか女性らしく華やかな…イメージにぴったりの字だ。
東山魁夷展
絵を観て泣いたことはあまりないのだけど…
去年、東山魁夷の絶筆《夕星》をみて、何だか泣きそうになって、それは流石にまずいと、慌てて暗い障壁画の部屋へ移動したことがあったのだけど、何でそんな風に思ったのか、漸く腑に落ちた気がしたので、少しだけ…
若くして、父、母、弟と死別した作者を暗示するような4本の木。夜空に浮かぶ一粒の星。
とても美しい、静かな情景で、これを描いた時には、既に死を予感していたんだろうか。
言葉にするのは難しいけど、この絵を観たとき、ようやく自分もそちら側に行ける、とでもいうような、安堵の溜息が聞こえた気がして…
その時はよくわからなかったのだけど、先に逝った人達と、気持ちだけはもう既に共にあるかのような絵だったから、
恐らくこの人がずっと持っていたのであろう、寂しさや孤独みたいなものを感じて、泣けてしまったんだと思う。
死の予感が一層の美しさを加えているように思える、こういう作品を観ると、
川端康成が『末期の眼』の中で語った「すぐれた芸術家はその作品に死を予告していることが、あまりにしばしばである。」という言葉は、哀しいけれどまさにその通りだな、と思う。
葛飾北斎展
森アーツセンターギャラリーの新・北斎展に行ってきた。
今回は、北斎研究の第一人者である永田生慈さんが最期に監修された展示ということで(残念ながら、永田さんはこの展覧会を見ることなく、昨年お亡くなりになったそう…)70年に及ぶ画業全体を見渡せる面白い内容だった。
展示の中心になっているのは、永田さんが収集した2000点の作品。北斎の人生は勿論だけど、その研究に身を捧げた一人の研究者の、人生の集大成を見るような気もして、二重の意味で胸が熱くなった。
春朗、宗理、葛飾北斎、戴斗、為一、画狂老人卍……次々と変わる画号と作風。年老いてなお、磨かれていく画力。その流れがスッと頭に入ってくる。
そして展示量の多さ…。
入ってから出るまでに見た絵、そういえば全部同じ人が描いたのか…と振り返ると、ちょっとびっくりしてしまう。しかも、こんなの全然一部分に過ぎなくて…北斎は生涯で3万点の作品を残したとか言われているそうだ。
昔、国立新美術館にミュシャの《スラブ叙事詩》が来たとき、チェコにはミュシャみたいな素敵な画家がいて良いなぁ、と羨ましく思ったことがある。民族の歴史を伝える、20点の超大作。
だから、去年は、こんな美しい作品を捧げられたのはどんな国かしらと、はるばる飛行機にのって、チェコに行ったのだけど…
それで言うと、今回の北斎展をみて私は、日本には北斎がいて良かった…!と思ったのだった。
こんなに世界中で知られていて、かつ日本の美意識と民族性を伝えることができる画家は、ほかに居ないだろうから。
海外でも展覧会が開かれ、沢山の出版物が刊行されて、今一層の注目を集めている…
というかそもそも、ミュシャのアールヌーヴォーだって、元を辿れば北斎に行き着くのだ。
北斎すごい。
ミュージアムカフェにコラボメニューがあって、思わず注文してしまった。
地上52階から東京の街並みを見下ろすと、
北斎に、貴方の描いた江戸は、今はこんな風になったのですよ、と見せてあげたくなる。
そうしたらきっと目を輝かせながら、東京タワーとかを描いてくれるんだろうな、なんて、そんなことをぼんやり考えつつ食べた。