美術鑑賞手帳

主に美術館巡りの記録。たまに雑記。メインはインスタ@dillettante.7

クリスチャン・ボルタンスキー展

国立新美術館のクリスチャン・ボルタンスキー展に行ってきた。

 

魂の重さは21グラムとか、死は青い光を放つ、とか…

死を研究した科学者は沢山いるけれど、果たして普通に生きていて、それについて深く考えるだろうか。

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子どもの写真が多いからか、あるいは工作めいたモビールのせいか、ボルタンスキーの作品をみていると、まるで小さな子どもに「死ぬって何なの?どういうことなの?」って繰り返し、問いかけられているような感じがする。

その質問に答えることは難しいけれど、多分、作品が求めるものは答えではなく、一緒に考えることなんだろう。そうして、それならばと、自分自身に問いかけるなら…

私にとって、死を想起させるのは一本のペンだと思った。

 

 

17歳の夏、手術を間近に控えていた頃。

憂鬱な気持ちで日記を書きながら、ふと、私という持ち主が死んでも、手元のペンの存在はかけらも揺らがないことに気づいた。 

そのとき急に、自分の存在が、一本のペンよりもはるかに脆く感じられて、驚いたことを覚えている。

私はペンに自分の不在を感じたけれど、ボルタンスキーにとって、それを思い起こさせるものは服なのだろうか。

展示に沢山の洋服を集めた作品があった。

持ち主を無くした服は、それでもなお、誰かの輪郭を感じさせて、かえってその不在を浮き彫りにするかのようだ。

ただ大量の服が積み重なっているだけなのに、まるで今はいない大勢の人達と対峙しているような、不思議な感覚を覚えた。

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ボルタンスキーの展示は死を想起させるけれど、それは恐ろしいようでいて、いたずらに人を怖がらせるものではない気がする。


作品から感じることは人それぞれだろうけど…

私は、この人の作品から、死の恐怖というよりも、まだ自分が生きているということや、残された時間について、深く考えさせられるような気がした。

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